2009年 10月 25日
フリージアの思い出
私の親友が20年前に白血病で天国に召されました。
今日、彼女のご両親が横浜パンパシフィックホテルで、
彼女を偲ぶ会をお開きになり、私を始め、多くの友人が招待されました。
彼女とは、日産自動車の花のOL時代の6年間を仕事、旅行、テニスなどで、
多くの時間を共有しました。昨日、アルバムを取り出し、しみじみと見入ってしまいました。
彼女は何事にも全力で取り組み、人一倍の頑張りはどの友人も口々に賞賛しています。
その頑張りのせいか、あまりにも急ぎ足で駆け抜けた人生でした。
お父様は数カ国の大使を歴任し、彼女が白血病で倒れた時はフィンランドで日本大使でいらっしゃいました。
日本での手術が難しく、フィンランドで手術をし、一時期元気に回復していたのですが、
再発し、帰らぬ人となってしまいました。
今日の会の会場のお花を親友の私に、と依頼されました。
思い出のフリージアを入れてほしい、という御家族からの希望でした。
お持ち帰りのお花としても、フリージアをお渡ししたいというリクエストでした。
フリージアは春の花ですが、市場の出回りは12月くらいからです。
入荷は五分五分、ということでしたが、市場の仲卸に注文をかけました。
そして、運よく、黄色と白のフリージアを80本、買うことができました。
彼女のイメージは、はつらつとした、黄色、ピーチ、白。
写真の周りや、ゲストテーブルのアレンジに、フリージアをいれて作りました。
お持ち帰りのお花もフリージアを花束にして。
私は、フリージアを彼女が好きな花だったのだと思っていましたが、お母様のスピーチでそのエピソードにびっくりしました。
というのは、昭和天皇がご逝去された、昭和64年1月7日、各国の日本大使館で、お花を飾り、記帳の場を作るようにお達しがあったそうですが、フィンランドの1月、お花をそろえるのが大変難しかったそうで、困ったわ・・・お母様がおっしゃると、病気が再発して、病院に通院していた彼女が、病院のお花屋さんにお花がある、ということで、自ら病院の花屋さんに行き、たくさんのフリージアを抱えて帰ってきたのだそうです。
・・・・・・そして、その9日後、彼女はなくなりました。
そんな思い出のあったお花だったのです。
10月のこの時期に、フリージアが手に入ったのも、彼女の力が働いたのかもしれません。
きっと、見守ってくださっていたんですね。
この時期にフリージアは、ほんとに、たいへんだったと思いますが、その方のお力、働いたと。
フリージアは、彼女そのもののように、感じました。
これからもずっと、彼女はみんなの心の中で生き続けていきますね。
カッコさん
ありがとう!
フリージアの香りに包まれ、多くの友人が彼女を思い出し、エピソードを語り、
とてもいい会食会でした。
彼女はいきいきした姿で、皆の心にいきています。
確かに・・・フリージアに姿を変えているかもしれません。
素敵なご友人ですね。
ご両親も素晴らしい方ですね。
お花は、懐かしい思い出やさまざまな想いを運んでくれるんですね。
DreamWriterさん
素晴らしいご家庭のお嬢さんでしたよ。
でも、すごくパワーのある人で、20年たった昨日も多くの友人が
彼女のことを、尊敬といとおしさの気持ちで思っていました。
フリージアの香り、いいですね。
昭和63年1月7日、昭和天皇がご逝去された日―
私も今でも印象深く、よく覚えています。
ちょうど私の20歳の誕生日でしたので・・・
思い出の深いフリージアのお花を飾ることが出来て、
本当に良かったですね。
感動いたしました。。
ご友人と、お母様の願いがきっとひとつになって、
届けられたお花なのかもしれませんね。。
ゆみさん
コメントをありがとう。
私にはあっという間の20年でした。しかし、ご家族にとってはいかがだったかしら?
でも、先日の会はとても温かく、いい会でした。
フリージアの香りを添えられて、よかった・・・
>その9日後、彼女はなくなりました。
人も花も命あるもの。
でもフリージアは語りかけているようです。
落合さんの親友は、
心の中に生きつづけていると。
良いお話をありがとうございました。
杉岡さん
そうですね、人も花も命があるもの。
限られた命を精一杯咲かせられればいいんですよね。
若くしてお亡くなりになったお友達のお話に、ジーンときてしまいました。
お写真を拝見するに、若き日の美智子さまのような楚々としながらも
ハツラツとした素敵な女性ですね。
邦子さん、これから、お友達の分も合わせて、ますます輝いてご活躍してくださいネ!
Makiさん
彼女は仕事もできましたし、実業団テニスのメンバーでもありました。
彼女とペアを組んでもらって、社内のテニス大会で優勝したのもいい思い出です。
彼女の分も、頑張らなくっちゃね。